『橋の上のワルツ』の舞台

The Place

『橋の上のワルツ』の舞台


パットニーブリッジ, from wikimedia commons

タイトルにある「橋」は、ロンドンにあるパットニー・ブリッジのこと。

ロンドンは、テムズ川というゆったりした大きな川が真ん中を通っており、観光名所もテムズ川沿いに多くあります。『橋の上のワルツ』の舞台になっているパットニーブリッジは、ここにあります。

9月にエリザベス2世陛下が崩御なさって大きなニュースになりましたね。国葬のあったウェストミンスター寺院やバッキンガム宮殿といった中心地から、テムズ川に沿って西へしばらく行ったところに、パットニーブリッジがあります。

私(三輪えり花 )がロンドンに住んでいた頃は、パットニーという地区は、中流階級が好んで住む、高級すぎない落ち着いた街、東京の国立市あたりのようなところでした。歴史的にもテムズの北岸は政治や経済の中心でしたから、北にはそれらを司る「偉い人たち」が住んでいましたが、南岸には社会の下層の人たちがいました。たとえば、シェイクスピアの時代(500年近く前)にも、南岸はかなり雑多で、泥棒だの娼婦だの、自慢しにくい職業の人たちが住んでいて、なにが起きてもおかしくない危険な地帯でした。その流れは20世紀が終わる頃まで続いていたのです。が、このパットニーは、テムズの南岸であるにもかかわらず、寧ろおしゃれでちょっとだけ上流の匂いがするところです。地図を少し西南へずらしてみると・・・なるほど、王侯貴族の大好きなテニスの聖地ウィンブルドンへ、このパットニーブリッジを通って行くのがわかります。そのせいもあるのでしょうか。ちなみに三輪えり花は地図の一番下に書いてあるレインズパークというところに住んでいました。

ところがですよ、パットニーのすぐ東にあるワンズワースというところは、あまり治安がよろしくなく、住むのはやめた方がいいとアドバイスされたこともあります。通り一本隔てて要注意地帯になってしまうんですね。

ごぞんじのとおり、英国は、大英帝国時代に世界中に植民地を持っていました、それらの国々からの移民ももちろん昔から住んでいます。彼らの多くは19世紀までは貴族の召使や肉体労働者・低所得労働者として働き、いわゆる「白いイギリス人」とはあまり交流せずに自分たちのコミュニティの中に閉じこもるのが普通でした。が、21世紀に入り、人種は平等という意識も広まり、彼らがプライドと意思を持ってイギリスに住むようになってきたと、私は感じています。

また、ロンドンオリンピックが2012年に開催されることが決まった頃から、さらに状況が変わり始めました。都市開発や再開発が進み、仕事をしたい人たちや、海外から、ITや石油で儲けた人たちなどが大勢住み始め、「貧困ではない人たち」がロンドンの居住地域をどんどん拡げていったのです。

パットニーブリッジを挟んでテムズ北岸には、フルハム地区があります。ここはかつてはパンクロックやサッカー好きのやや乱暴な青少年たちが好んで住んだエリアでしたが、今はヤング・プロフェッショナルと呼ばれる、若くして稼いでいる人たちや弁護士らが住むようになりました。そして、贅沢ではないけれども「ちゃんとした、気持ちの豊かな暮らし」をしたい移民たちも、それまではとても手が出なかった上に、白いイギリス人しかいなかったようなパットニーあたりに住むのが憧れになってきたのです。

『橋の上のワルツ』はパットニーブリッジで実際に起きたある事件に触発されてソニア・ケリーが戯曲にしたものです。その事件がこの橋で起きたのは、まさに現代ロンドンの象徴でもあるように私には思われます。登場するキャラクターたちは、アフリカ系移民とアイルランド移民と剛腕ファンドマネージャー、それがテムズ川の南と北を結ぶ橋の上で、同じ事件に巻き込まれる。このお芝居は、それぞれの心の声を私たちに聞かせてくれます。とくにアイルランドから来た女性については、その背景をもう少し深くお話ししたいのですが、それはまたいつか。

中世からある古いパットニーブリッジ, from wikimedia commons


この記事は、いかがでしたか?お芝居の舞台と背景が少し見えてきたでしょうか?さてさて、この3人が巻き込まれる事件とは・・・。ぜひ劇場でご覧ください。演じる俳優3人が、すごくいいのです!

written by 三輪えり花(英語圏部会 副部会長&運営委員長。演出家・俳優・翻訳家)

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